沢田研二 『今、僕は倖せです』('72)
b0061611_23402316.jpg“今、僕は倖せです”

日々悶々としてやり過ごしている僕にとって、なかなか堂々と言えない言葉である。ただ、少なくともこのレコードを聴いているときは倖せだとちょっとだけ大きな声で言える。



『いま、会いにゆきます』ではなく、『今、僕は倖せです』は沢田研二の4枚目のソロアルバム。手書きのクレジットには、“制作・企画・構成・作詞・作曲・歌唱 沢田研二”となっており、井上堯之グループによる演奏以外はすべて彼自身が手がけている。ということはつまり、沢田研二果汁ほぼ100%の作品なのだが、搾り出されたジュースはちょっぴりほろ苦い青い春味。ここには、あのゴージャスでセクシーで美しくもカッコイイ男も惚れるアイドルスター“ジュリー”の姿はどこにもない。ここにいるのは、なんだか地味で三枚目で貧乏臭くて適当な服を着て街をふらふら、夜になれば独りベッドでああだこうだ悩んでる青年。僕はジュリーとは友達になれないだろうけど、この沢田研二青年となら仲良くなれるような気がする。

思いがけず人気者になってしまったアーティストが、世間に作り上げられたスターとしての人格と本当の生身の自分とのギャップに苦しみ、その結果、赤裸々に自分を曝け出すへヴィーな作品を制作するという過程はよくあることだし、このアルバムもそのひとつだと思う(「悲しくなると」なんかはまさに)けど、敬愛する内田裕也氏を面白おかしく歌った「湯屋ちゃん」や飲めや歌えやソング「誕生日」などのコミカルな曲も挟み込まれていたりして、決して重すぎず手触りはポップで優しい。「時の過ぎゆくままに」や「勝手にしやがれ」のような後世に残るような大名曲は正直無いけれど、心をふわっと掴まれる魅力的な曲ばかりで、リトマス試験紙のようにじわじわと身体中に染み込み、ふと気付いたら鼻歌になっていた。

今から34年前、沢田研二24歳。もちろん歌声は伸びやかで若々しいのだが、かと言って、若さの勢い任せてガツガツしているわけではなく、どことなくリラックスムード、そこに彼特有の色気が加わって、気だるい心地良さが生まれている。男の僕でもうっとり。特に、スローなナンバーでの一言一言噛みしめるように丁寧に魂を込めた歌唱、それはもう感動的である。そして、そんな素敵な歌声を包み込む、井上堯之グループの懐深く温かい男気バンドサウンドがまた最高にカッコイイんだ!これ以上ないハマリ方だし、沢田研二の歌の良さを心底理解している演奏だと思う。素晴らしい。

彼は平易な言葉で心情をストレートに訥々と語っている。決して格好つけることなく、迷いや苦悩がそのまま出ている。例えばタイトル曲ならば、“今、僕は倖せです”と歌えば、“いやな事を忘れたら”と但し書きが付いてくる。“僕”には友達がいて彼女がいて、理解ある人たちが周りにいてくれて、両親も健在で、適度に忙しくて適度に暇もある。だからと言って、倖せとは限らない。どういう状態が倖せなのか漠然としていてよく分からないし、どんな状況だって考えようによっては倖せになるし不倖せにもなる、“けど僕は欲張りなのです”。彼は何度も繰り返し“今、僕は倖せです”と歌うけど、いずれも言い切れてないし、必死に自分にそう言い聞かせているだけで、あまり倖せそうに見えない。なんかそういう葛藤とかモヤモヤした感情が言葉だけじゃなく歌声やメロディーなど至る所に滲み出ているのがリアルで人間臭くて、いいなぁと思う。でも、最後のこのフレーズはきっと確固たる真実じゃないだろうか。

 “今、僕は倖せです 何よりも歌がある”

b0061611_23501778.jpg※この作品はCD化されているそうですが、B面最後に存在するシークレットトラック「くわえ煙草にて」がカットされているみたいです(在るのと無いのとでは結構違うと思います)。粗っぽいようで細かいところで奇妙なこだわりがある手描きのジャケットも面白いし、レコードで買うのが断然オススメです。(→ジュリー、パンツを脱ぐの図)
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by kesuike6 | 2006-01-27 23:53 | ALBUM(SINGLE)
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